ペリー来航後、幕府から再び江戸湾海防を命じられた江川太郎左衛門英龍(えがわたろうざえもん・ひでたつ)は、観音崎〜富津岬の防護線とともに江戸の最後の護りとして品川台場の建設を提案しました。これに基づき、江戸湾最初の人工島が築かれることとなったのです。
また、品川台場の提案は、維新後、明治新政府に引き継がれ、江戸湾沿岸への砲台建設による防備の強化や、その後の海堡の建設へと進み、「東京湾要塞」の基礎が形づくられることになります。
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現在残っている品川台場は第三台場と第六台場のみ。第三台場は台場公園の一部となっています。