明治から大正にかけて陸軍元帥として陸軍に君臨した山縣有朋(やまがたありとも)は、明治4年(1871)、『軍備意見書』を提出し、日本列島の要塞化を主張しました。
そしてこれを実現するため、山縣は明治6年(1873)、フランスの陸軍中佐マルクリーに東京湾を視察させ、『海岸防禦法案』(かいがんぼうぎょほうあん)を提出させます。
続いて明治8年(1875)には、フランスの陸軍中佐ミュニエー、工兵大尉ジュールダン、砲兵大尉ルボンに『日本国南部海岸防禦法案』を提出させますが、これらの提案は、いずれも海岸や島に砲台を築くというものでした。