9. 3つの海堡の必要性

東京湾海堡関係図
「東京湾第三海堡建設史」口絵 3.10 より作成

東京湾防御体制の整備に中心的役割を果たした陸軍少佐の黒田久孝(くろだひさたか)は、明治8 年(1875)、連名で『全国防禦法案(ぜんこくぼうぎょほうあん)』を出しました。以後、この案が東京湾要塞建設の基本になったといわれています。
第一海堡の完成間近となった頃、当時の大砲の有効射程距離が約3.0kmだったことから、陸軍は、防御をより強固にして敵艦の進入を阻止するために、富津と観音崎の間に二つの海堡を増設することにしました。

黒田久孝

黒田久孝