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平成12年12月から平成19年8月にかけて、東京湾口航路整備事業の一環として第三海堡撤去事業が行われました。
第三海堡は、大正12年の関東大震災によって甚大な被害を受けたあと、長年にわたり風浪の影響を受け、構築物としての原型はわずかに残るばかりでした。
第三海堡は当時の工兵技術の最先端をもって築造されたもので、特に沈下対策や波浪対策は、近代土木史上、貴重かつ注目に値すると考えられています。
この貴重な資料を後世に残すため、主に撤去工事で明らかにされた情報を基に復元図面を描き起し、それを3 次元CG モデルで多角的に検証して、コンピュータグラフィックス(CG )で第三海堡を復元しました。
1.砲台
砲台は、その中心をなす火砲(大砲)、台座(砲座)、弾薬庫、観測所、電灯所等から構成されます。砲台はその設置の目的から、砲戦砲台、要撃砲台、側防砲台に分類されますが、第三海堡は海峡、湾口などの狭隘な水道や航路を通過する艦艇を射撃するためのもので要撃砲台に含まれます。
火砲は砲座砲床コンクリートの上に12 本のボルトで頑丈に据付けられており、その前方には堅固な円形のコンクリートで壁を設けてありました。
第三海堡より古い時代のものは脚壁には煉瓦を用いていたものが多いようです。また砲弾を出し入れしたと見られる小窓が確認されました。その小窓には砲弾を傷めない様に、真鍮の額縁で丁寧に仕上げられていました。
2.用水
要塞において、水は機関冷却用・飲料・炊事用・洗面洗濯用・消防用等に使用され、重要な資材です。
第三海堡では、兵舎のアーチ外背の排水処理も兼ね、数ヶ所の土盛りした所(ろ過池)に雨水を滲透させて砂又は砂利等でろ過した後、脚壁の基礎の上に設けた排水溝(管)を通して、貯水槽に導き、飲料水・雑用水としていたようです。それらの一部が確認されました。
3.貯水槽
機関冷却用・飲料・炊事用・洗面洗濯用・消防用等に使用される水は、雨水を滲透させて砂又は砂利等でろ過した後、脚壁の基礎の上に設けた排水溝(管)を通して、貯水槽に導かれます。
4.護岸
5.煙突を備えた弾薬庫
換気坑や煙突など、換気や湿気対策のための設備が設けられていることから、当時、装薬や炸薬等の火薬等を保管していた施設(弾薬庫)であったと推測されます。換気坑は、かまぼこ状(H=650mm、B=1500mm)で、火薬等の保管室と通路の床下に 巡らせてありました。また、煙突の頂部近くの側面には、排気口が設けてあり、さらに頂部は雨水の浸入を防ぐため、鉄板で覆われていました。
6.電灯所
照明所は、観測所や砲台長と密接な連繋を保つ必要がありますが、余りにも観測所の近くから照射すると眩惑されることから、なるべく前方、側方の位置に設置されていたようです。第三海堡では頭部の両側に2 箇所、尾部の中央に1 ヶ所、最後部に2 ヶ所の計5 ヶ所に設置されていたようです。
明治時代の探照灯(現在のサーチライト)は、操縦桿によって水平から俯仰、左右に手で動かしたようです。発電は機関舎にボイラー・スチームエンジンを据付け、発電機で発電し、探照灯までケーブルで通電しました。
常時探照灯は地下の電灯井に格納し、有事の際には、探照灯を電灯座に載せ昇降機で引き揚げて使用していました。第三海堡では探照灯を台車に乗せたまま、照明所に運搬するために用いたと思われる軌条(レール)も確認されました。
7.観測所
観測所は指揮官の位置するところで、指揮、観測、通信連絡に便利なよう、視界の広い高い場所を選んで設置されています。
第三海堡では頭部の中央1ヶ所と両側に2 箇所、尾部の中央に1ヶ所、最後部に2ヶ所の計6 ヶ所に設置されていました
8.砲台砲側庫
内部は2室からなっています。脚壁から天井の半円形アーチまでコンクリートの一体構造となっています。砲側庫入口上部に階段があり、踏み面部分は石材で施工されていました。
9.頭部防波堤(大型鉄筋コンクリートケーソン)
頭部前面には防波堤として、1函あたり長さ14m、高さ7m、上幅4m、底幅6mの鉄筋コンクリートのケーソン13函が据え付けられていました。中詰め材には、貧配合の粗石コンクリートが充填されていました。
10.大型兵舎
第三海堡の尾部側中央にあった最大規模の大型兵舎です。兵舎とは、守備兵隊が生活もしくは退避するための建物で、この構造物には、2つの居室部分と左右の砲台間を行き来するための連絡通路がありました。居室部分の天井は半円形のアーチ状で、入口壁面にはイギリス積のレンガが積まれていました。また、連絡通路部分は、中央水平部分の地下に空間があり、砂が充填してありました。