第二海堡の砲台などの上部構造物・建物の壁体は、脚壁・奥壁を煉瓦造りとし、最も重要な施設である15cm加農砲および27cm加農隠顕砲の砲床・天井部などの強靱部をコンクリート造りとしていました。
一言で砲台といっても、砲台が戦闘機能を発揮するためには各種の施設が必要です。例えば火砲を据え付けた砲座・砲床、弾薬庫、観測所、電灯所(発電室と探照灯照明所)、居住施設などがあります。
特に砲塔砲の場合は、最上部の射撃室以外の、砲を動かす手動力機関室、砲側弾薬庫、給弾室などのすべてが地下構造であり、その工事は大変であったことを想像することができます。
[注]参考文献:日本帝国海堡建築之方法及景況説明書」(米国公文書館蔵)明治39年(1906)、大日本帝国陸軍築城本部「現代本邦築城史、第二部、第二海堡基礎試築成績表」明治24年(1891)、国土交通省関東地方整備局「東京湾第三海堡建設史」平成17年(2005)・「富津市富津第二海堡跡調査報告書」平成26年(2014)