人々: 江川太郎左衛門英龍

2.海防強化への目覚め

アヘン戦争

産業革命後、欧米諸国の勢力はアジア・アフリカ・中南米に拡大していました。天明6年(1786)に著された林子平(はやししへい)の『海国兵談』(かいこくへいだん)では、江戸湾海防の必要性が説かれていましたが、そんな中で鎖国日… もっと読む »

3.台場建設の提案、江⼾湾海防計画 1839

渡辺崋山:「江戸湾海防計画図」

韮⼭(にらやま、静岡県)の代官だった江川太郎左衛⾨英龍(えがわたろうざえもんひでたつ、1801〜1855)は、天保9年(1838)、江⼾幕府より江⼾湾巡⾒を命ぜられました。江川は、天保10 年(1839)、復命書を幕府に… もっと読む »

4.江戸湾最初の人工島「品川台場」1854年

「品川台場絵図」

ペリー来航後、幕府から再び江戸湾海防を命じられた江川太郎左衛門英龍(えがわたろうざえもん・ひでたつ)は、観音崎〜富津岬の防護線とともに江戸の最後の護りとして品川台場の建設を提案しました。これに基づき、江戸湾最初の人工島が… もっと読む »

6.明治政府の東京湾海防計画

明治新政府

明治新政府は、帝都「東京」を護るため、東京湾海防計画に取り組むこととなりました。東京湾海防に属することは軍事機密であったため、多くのことは伝わっていませんが、さいわい大日本帝国陸軍築城部:『東京湾要塞築城史』が残されてお… もっと読む »

16.第二海堡に関する歴史的変遷年表

年表

和暦 西暦 海防をめぐる主な出来事 江戸時代 寛永16 1639 第五次鎖国令で鎖国体制がほぼ完成 天明6 1786 林子平「海国兵団」で海防の必要性を説く 寛政4 1792 ロシア使節ラックスマン来航 文化1 … もっと読む »